2009年12月05日

空弁

空弁(そらべん)は、空港内で売られている弁当を指す呼称。2000年代になって急速に定着した用語である。
2003年ごろから空港内で空港周辺地域の名産品などを食材として採用し、各空港ごとの独自色を強く打ち出した弁当が販売されるようになりはじめた。背景としては運賃競争の激化に伴って経費削減のための国内線の機内食が廃止されたことや、航空券のインターネット予約の普及(電子航空券化)などで、空港内で滞在する時間が短くなったために、弁当を購入して航空機内で食べる人が増えたためといわれている。最近になって人気商品化しデパート・スーパーマーケットなどの駅弁セールで駅弁とともに販売されることが増えてきている。

「空港の弁当」であるため、鉄道駅の「駅弁」をもじって、「空弁」と呼ばれるようになった。登場当初は「くうべん」と呼ばれたこともあったが、現在は「そらべん」という読み方に落ち着いている。フジテレビ系列の朝番組『情報プレゼンター とくダネ!』は2004年1月13日に「空弁」を扱い「2004年12月2日に「『空弁』と名付けたのはこの番組だ」と報道したが、実際には2003年からすでに空弁という言葉は使われていた。

製造・販売元は航空会社の系列会社など空弁専門業者が多いが、一部の地方空港では地元の駅弁業者が調製した空弁が発売されていることもあり、こうした場合、空弁は駅弁との区別が曖昧となる。ただし空弁は駅弁と比較した場合、以下のような特徴がある。
JR優等列車(新幹線・在来線特急)車内に比べ気密性が高くシートピッチの狭い機内へ持ち込んで1時間程度の飛行中に食べられるように、次のような配慮がされている。
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小型である
比較的低価格である
駅弁に比べてにおいが強くない食材で調製される、またはにおいの強くない料理が詰められる(必ずしも全く出ないわけではないが、比較的弱い)
空弁はロビーや持ち帰りで食べる場合もあるが、航空機内で食べられる場合もある。機内での食事は列車の旅と異なり、洗面所はトイレ内で、トイレもJR・私鉄の列車と比べて狭いため洗面所の利用が比較的不便である。そのため空弁は、食べるときに手を汚さずに食べられるということも重要な要素である(ただし手拭用紙(紙おしぼり)は付属している)。

2009年11月29日

法的規制の経緯

1899年にハーグで開かれた万国平和会議において、最初の明文による化学兵器の国際規制が決められた。この会議では、「ハーグ陸戦条約」23条で毒物(1号)及び不必要な苦痛を与える兵器・物質(5号)の使用禁止が規定されたほか、窒息性ガス・毒ガスの使用を禁ずる「毒ガスの禁止に関する宣言」も採択された。後者は、窒息性ガス及び有毒ガスの撒布を唯一の目的とした投射物の使用を禁止した内容だったが、ボンベから放出される方式の化学兵器は許されるとの解釈の余地があるなどの問題があった。第一次世界大戦では、これらの条約にも関わらず、各国による化学兵器の大量使用を防止することはできなかった。

第一次世界大戦での化学戦の悲惨な結果を踏まえ、1925年には「ジュネーヴ議定書」(「窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」)が締結された。この条約により戦争での化学兵器使用が禁止されることとなったが、保有や研究までは禁止されなかった。議定書は1928年に発効した。
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第二次世界大戦後の1968年に国連軍縮委員会の議題として化学兵器の禁止があがり、翌年にはウ・タント国連事務総長の提出した報告書「化学・細菌兵器とその使用の影響」が契機となり、国連総会で化学兵器・生物兵器の禁止決議が採択された。1972年に生物兵器の保有禁止を定めた「生物兵器禁止条約」にも、化学兵器の生産や貯蔵の禁止に向けた交渉努力規定が盛り込まれている(9条)。その後もジュネーブ軍縮委員会での協議や米ソ間の2国間条約締結が行われ、ついに1992年には「化学兵器禁止条約」により、使用だけでなく軍事目的の保有や研究も多国間条約で規制されるに至った。

2009年11月25日

仏像が出現したのは

仏像が出現したのは釈迦入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのようなきっかけで制作されたかは明らかでないが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域であり、おおむね紀元後1世紀頃のこととされている。

ガンダーラとマトゥラーのいずれにおいて仏像が先に造られたかについては、長年論争があり、決着を見ていない。しかし、仏像がさかんに造られるようになったのは紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代であることはほぼ定説となっている。クシャーナ朝のカニシカ王は釈迦の教えに触れて仏教の保護者となった。王は自国の貨幣に釈迦像と仏陀の名を刻印した。また当時の都であったプルシャプラ(現パキスタン、ペシャーワル)の遺跡からはクシャーンの王(カニシカ王とされるが異説もある)の頭上に釈迦が鎮座する図柄の舎利容器なども発見されている。

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マトゥラーの仏像がインド的であるのに対し、ガンダーラの仏像がギリシア彫刻のように彫りが深いのは、この地にさまざまな民族が侵入し、西方の文化を持ち込んだためである。紀元前330年頃にアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。その後も紀元前2世紀にはバクトリア王国のギリシャ人の支配を受けるなど、西方文化の流入は続いた。つまりガンダーラの仏教美術とは、ギリシャ美術、ペルシャ文化に仏教が融合した結果であった。

もともと仏陀像は釈迦の像に限られていたが、仏教の展開に応じて、いろいろな像が生まれ、光背はペルシャ文化の影響と見られ、仏教はギリシャ文化の影響からか、偶像崇拝的性格を持つようになった。ガンダーラにおいても銘文から弥勒菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩などであることが明らかな作例が確認されている。詳しくは高田修『仏像の起源』(岩波書店、初版1967年、復刊1994年ほか)『仏像の誕生』(岩波新書 1987年)、宮治昭『ガンダーラ仏の不思議』(講談社選書メチエ、1996年)。

2009年11月04日

反共である理由

そもそも、なぜ人が反共思想に染まるのかについては諸説ある。

一つは人本来が持っている保守志向(昔を懐かしむ、秩序を維持したい、新しい物に対する警戒感)などがあげられる。人は、自己の経験の範囲外の事やものに対して、期待あるいは恐怖のいずれかに極端に偏った感覚をもつ傾向がある。このようなときには、たとえ些細であったり根拠が乏しいとしても、肯定的・否定的どちらかにとれる情報がインプットされると、妄想的感覚のポジティブフィードバックが形成され、極端な期待あるいは嫌悪感に結びつくことが起こり得る。この後者の状態として、反共主義をとらえることができる。また、実現性が未知数で確かな力をもたないものよりも、既存の強者・権力者に寄り添いたいと思う人間心理と結びつけることもできる。
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もう一つは共産主義そのものに対する拒絶反応である。例えば、私有財産制度を維持する立場である。共産主義はもともと、私有財産制(生産手段の私有)を貧富の格差を生み、紛争や飢餓などを生む要因として否定していた。日本経済団体連合会や日本商工会議所、日本青年会議所が自由民主党を支持するのは、自身の既得権益を守らんがためである。
さらにあげられるのは、伝統維持の立場である。共産主義は、伝統は階級社会の産物であり、歴史的に変化するものと考える。ピノチェトは、軍事クーデターを起こした理由を聞かれ、「共産主義がカトリックの伝統を破壊するからだ」と述べた。

2009年10月29日

海洋潮汐の原因となる潮汐力は

海洋潮汐の原因となる潮汐力は、月や太陽などの天体によって地球のまわりの重力場に勾配が生じることで起こる。つまり、天体との距離の二乗に反比例して引力が弱まることと、地球上での場所が違うと天体からの引力の方向も異なることに起因する。

地球は重力場の中を自由落下している。そのため、外部の重力と逆向きの慣性の力が生まれ、地球全体としては重力場を感じない。しかし、地球の重心から離れた地点の重力場が地球の重心と異なる場合、その差分に応じた重力場があるように見える。

つまり、月の真下の海面では、月に近いため、地球の重心より強い重力場が働いており、より強く月にひきつけられている。逆に、月の反対側の海面では、地球の重心より弱い重力場しか働いていない。そのため、残りの地球のほうがより強く月にひきつけられ、海は取り残される。これらの位置では、上向きの潮汐力となる。

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また一方で、その中間、つまり月から90°離れた位置の海面は、月から見て斜め方向であるため、重力場はわずかに地球中心向きの成分を持つ。このため、下向きの潮汐力が生まれる。なおこの潮汐力の大きさは、月の直下および反対側で受ける潮汐力のちょうど半分である。

引力は天体からの距離の2乗に反比例するので、その差分で決まる潮汐力は距離の3乗に反比例する。また、これらの力は天体の質量に比例する。地球から太陽までの距離は月までの距離の約390倍あり、太陽の質量は月の質量の約2700万倍ある。これから計算すると、太陽の引力は月の引力の約180倍であるが、太陽の潮汐力は月の潮汐力の約0.45倍にしかならず、月の潮汐力の影響が大きい。月の潮汐力を太陰潮、太陽の潮汐力を太陽潮という。

2009年10月18日

昆虫採集を行うには

昆虫採集を行うには、それなりの場所へゆくものである。必ずしも遠くへ行く必要はないのだが、身近で採集できるものは限られている。それでもたまには近所で珍品に出くわす場合もあるので、いつでも最小限の採集用具を持つのは、採集家のたしなみである。本格的に採集に出かける場合は、当然ながら、野外活動の身支度とともに、採集用具をひっさげて出かける。道具は対象分野によって様々である。

野外を歩きながら探して回る採集が基本で、これを見採り法、あるいは見つけ採り法という。道を歩きながらあちこち眺め、虫のいそうなところを見て回る方法である。時には葉の裏をめくったり、石をひっくり返したりもする。
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昆虫の集まるポイントというものがあり、そのような地点で粘る採集家も多い。それは餌場であったり、繁殖地であったりという例もあり、たとえばたくさんの花をつける木にはチョウや様々な昆虫が集まるし、伐採した樹木を積んだ場所にはカミキリムシなどが産卵のために多数集まる。他にたとえば山頂付近などに下から様々な昆虫が吹き上げられてくる場所がある、と言う例もある。

また、小型の昆虫や動きの少ない昆虫は野外では目につかないことが多い。それらは生息地に見当をつけて探す。そのための面白い方法のひとつに叩き網採集というのがある。これは、樹上の葉枝の間にいる小型昆虫を採集する方法として発達したもので、枝の下に布を広げ、その上で枝を棒で叩くものである。そうすると枝葉の間の昆虫はふるい落とされて布の上に落ちるので、見つけやすくなる。応用として枯れ木の束や樹木に生えたキノコに対してもこれを使うことがある。土壌動物として生活する昆虫は、土壌動物の採集法で捕らえる。

2009年06月19日

酸化クロム(さんかクロム、chromium oxide)

酸化クロム(さんかクロム、chromium oxide)はクロムの酸化物。クロムの酸化数に応じて、酸化クロム(II)、酸化クロム(III)、酸化クロム(IV)、酸化クロム(VI) が存在する。また、混合酸化物、過酸化物も知られている。

クロムの酸化還元電位は Cr(+3) が最も安定であり、酸化物も酸化クロム(III) が最も安定である。酸化クロム(IV)、酸化クロム(VI) は酸化剤として用いられる。

組成式 CrO。黒色の粉末で、水に不溶。

性質 [編集]
化学的には不安定で加温により Cr と Cr2O3 に不均化する。
空気中で酸化されて Cr2O3 となる。
希硫酸、希硝酸には溶けない。
塩酸に溶け、水素を発生させて青色溶液を生ずる。

製法 [編集]
クロムアマルガムを空気あるいは硝酸と作用させて酸化させる。
赤熱した酸化クロム(III) に水素あるいはエタノールを通じる。
塩化クロム(II) CrCl2 と炭酸ナトリウム Na2CO3 を混合し、加熱する。
クロムカルボニルを熱分解する。

酸化クロム(III)
組成式 Cr2O3。緑色の固体で、水に不溶。

物理的性質 [編集]
コランダム (α-Al2O3) 型構造、六方晶系
融点 2435 °C、沸点 4000 °C
比重 5.21 (20 °C)
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合

化学的性質 [編集]
きわめて安定。
酸、アルカリに不溶。
臭素酸アルカリ水溶液と熱することで溶解する。

利用 [編集]
顔料として黒板や絵具(オキサイドグリーン・オキサイド・オブ・クロミウム)などに用いられる。
研磨剤
有機反応の触媒
単結晶は半導体になる。

酸化クロム(IV) [編集]
組成式 CrO2。黒色の粉末で、水に不溶。

物理的性質 [編集]
正方晶系、ルチル型構造。
強磁性を示す。

利用 [編集]
磁気テープ用磁性体
三酸化クロム(さんさんかクロム)、無水クロム酸(むすいクロムさん)とも呼ばれる。組成式 CrO3。赤色の結晶。

物理的性質 [編集]
斜方晶系、針状結晶。
融点 196 °C(分解)。
比重 2.629 (14 °C)

化学的性質 [編集]
水に溶けてクロム酸と二クロム酸になる。
潮解性が強い。
250 °C で分解して酸素 O2 を発生させ、Cr2O3 となる。

利用 [編集]
有機反応の酸化剤。詳細は クロム酸酸化 を参照。
ガラスの洗浄。

毒性 [編集]
きわめて毒性が強い。半数致死用量 (LD50) は 80 mg/kg (ラット、経口)、127 mg/kg (マウス、経口)。

2009年06月01日

向精神薬

向精神薬(こうせいしんやく、Psychoactive drug)は、広義には、中枢神経系に作用し、生物の精神活動に何らかの影響を与える薬物の総称である。狭義には、麻薬及び向精神薬取締法で個別に指定された物質である。

脳内で本来はたらいている神経伝達物質をリガンド、リガンドのかわりに脳内で作用する薬物をアゴニスト、リガンドのはたらきを弱める薬物をアンタゴニストという。

精神治療薬の中に副作用として幻覚や錯乱などの影響をおこすものがあり、反対に、麻薬に指定された薬物の中にも、覚醒作用や鎮痛・鎮静作用などの作用を持つために治療に用いられるものが存在する。例えば、モルヒネは強い依存性を持つが、同時に強力な鎮痛作用が存在するため、重度の癌患者の疼痛除去に用いられている。また、メタンフェタミンのように、日本では覚せい剤取締法で法律で規制されているが、北アメリカでは治療薬として用いられ、規制の状況が異なる薬物もある。医療目的で用いられる治療薬も法律で規制された薬物も、共に薬物乱用が問題になることがある。なお、コーヒーや茶などに含まれるカフェインは、向精神作用をもつ物質としては世界中でもっとも広く摂取されているものである。

精神疾患によっては、脳の中に薬物が作用し、その症状を顕著に改善する。ストレスや遺伝などの様々な原因によって脳内の神経伝達物質の状況が変化するため、その類似の物質である薬物を摂取することによって症状が改善されるということである。反対に薬物が効きにくいといわれる疾患には拒食症、高所恐怖症、閉所恐怖症などがある[1]。

軽い不安は脳内物質のセロトニン、強い不安は脳内物質のGABAの不足が関連しており[2]、脳内物質として作用する薬物を摂取することで症状を抑える。ベンゾジアゼピン系の薬物はGABA受容体に作用することで不安や興奮を抑える。強迫性障害のような持続的な不安には、GABA受容体ではなく、セロトニン受容体に作用する抗うつ薬が有効である。

精神安定剤(トランキライザー)
大きくメジャートランキライザーとマイナートランキライザーに分けられる。
抗精神病薬(メジャートランキライザー)
主に統合失調症による幻覚や妄想といった症状を抑えるために処方される。また強力な睡眠薬であるベゲタミンもここに分類される。統合失調症に有効な抗精神病薬は、ドーパミンD2受容体に作用し脳内物質のドーパミンの作用を抑える、つまりドーパミンのアンタゴニストである。
抗不安薬(マイナートランキライザー)
不安や緊張を沈める作用があり、睡眠薬としても利用される。ベンゾジアゼピン系が多い。
抗うつ薬
うつ病や強迫性障害、社会不安障害に処方される。主要な作用は、セロトニンが少なくなっている状態に対してセロトニンを再利用する作用をもたらすことである。第1世代・第2世代の抗うつ薬である三環系抗うつ薬、第2世代の四環系抗うつ薬、第3世代の選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)、第4世代のセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)がある。新しいモノアミン酸化酵素阻害薬(MAOI)であるRIMA(Reversible inhibitors of monoamine oxidase type-A)という新薬もある。
抗躁薬
気分が高まった躁状態を改善するための治療薬である。
中枢神経刺激薬
メチルフェニデート(リタリン)やアンフェタミンのように、突然強い眠気を催すナルコレプシーや注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬として処方される。メチルフェニデートやアンフェタミンは、ドーパミンの受容体に結合する。
睡眠導入剤
不眠症に対し、睡眠を誘導する治療薬として用いられる。 ベンゾジアゼピン系が多い。
鎮静催眠薬
バルビタールなど、強い催眠作用のある薬物で、睡眠薬として用いられた。
抗ヒスタミン薬
以上のうち、主に抗不安薬、中枢神経刺激薬、鎮静催眠薬の一部が麻薬及び向精神薬取締法で向精神薬に指定されている。


治療薬の法的等級(日本) [編集]
日本では、医療用に指定された向精神薬は等級に分類される。 医療上の有益性と、濫用の危険を考慮し等級が決定される(等級が上ほど取扱いは慎重にすべきである)。


第一種の例 メチルフェニデート(リタリン)・モダフィニル(モディオダール)
第二種の例 フルニトラゼパム(ロヒプノール)・ベントバルビタール(ラボナール)
第三種の例 アルプラゾラム(ソラナックス・コンスタン)・エスタゾラム(ユーロジン)・ゾルピデム(マイスリー)・ジアゼパム(セルシン・ホリゾン)・トリアゾラム(ハルシオン)
尚、第一~第三種の向精神薬全ては麻薬及び向精神薬取締法に基づき、調剤・検査目的以外での製造は認められない。 同様に、輸出入も禁止されている。 例外として、個人利用目的に限り1ヶ月分の分量までは携帯して出入国が可能である(医師の処方を証明するものがあれば、それ以上の分量でも可能である)。

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治療薬の乱用 [編集]
メチルフェニデート(リタリン)やアンフェタミン、モダフィニルといった覚醒作用のある向精神薬の乱用が報告されている。

以下の薬物は薬物乱用として問題にされるが、同時に医療に応用されているものもある。

モルヒネ
麻酔薬としても用いられる。
ヘロイン
モルヒネから作られる。
リゼルギン酸ジエチルアミド(LSD)
幻覚剤の一つ。心理療法に用いられる研究も行われている。
フェンサイクリジン(PCP)
幻覚剤の一つ。
3,4-メチレンダイオキシメタンフェタミン(MDMA)
乱用が問題になっているが精神治療に用いられる研究も行われている。
覚醒剤(メタンフェタミン・コカインなど)
日本では覚せい剤取締法で規制されている。上述のように、国によっては中枢神経刺激薬として精神治療薬に用いられるものもある。
アヘン
あへん法で規制されている。

2009年04月29日

立春(りっしゅん)

立春(りっしゅん)は二十四節気の1つ。2月4日ごろ。および、この日から雨水までの期間。

太陽黄経が315度を含む1日で、春の初め。正月節。『暦便覧』には「春の気たつをもつてなり」と記されている。 冬至と春分のほぼ中間にあたり、昼夜の長短を基準に季節を区分すると、この日から立夏の前日までが春となる。九州など暖かい地方では梅が咲き始める。暦の上では「春」になるが、実際には余寒が厳しく、大寒とともに最も寒い時節でもある。

立春の前日は節分である。立春から数えて88日目を八十八夜、210日目を二百十日、220日目を二百二十日と呼ぶ。

立春以降初めて吹く南よりの強風を春一番と呼ぶ。

立春の早朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。

旧暦(太陰太陽暦)では元日が立春前後に置かれる。中国暦で立春の次の雨水を含む月を正月(一月)としたのは、立春の頃を年初にし、春の始まりと年の始まりを一致させるためである。これを夏正(かせい)(古代中国、夏の正月)と云う。

節切りにおいては、立春が年初となる。四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が変わるとしているものが多い。節分の豆撒きは立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。

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二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされるが、時候的な解説では、「大寒から立春までは一年のうちで最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」 とされるのが一般的である。ただ注意が必要なのは、このような気象的事象の故に 「立春」 が定められたのではなく、冬至から春分への中間点として、暦法上の要請から定められたものだと云うことである。春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり『春分から夏至まで』を"Spring"とするのに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心とし、これらの中間に各季節の区切りとして四立(立春、立夏、立秋、立冬)をもうけた。ここに中国暦法の1つの大きな特徴がある。

中国式陰陽暦(中国暦)には3つの大きな特徴がある。1つは、西欧では春分起点(天文学として)であるのに対し、冬至起点であること。 2つ目は、二十四節気を用いた 『歳中置閏法』 であること。 最後は、二至二分を季節の区切りとせず (西欧では季節の区切りとする)、二至二分を各季節の主体として季節の真中に定めたことである。
前述のように、中国式陰陽暦(中国暦)の二十四節気では、『立春から立夏まで』を『春』とする。従って欧米での習慣的な天文的区切り(春分から夏至まで)とは、おおよそ1.5ヶ月ずれている。明治以降、日本では陰陽暦(太陰太陽暦)を廃止し太陽暦とし、気象学も欧米より学んだ。気象学的には、これも習慣的ではあるが、3月~5月が春、6月~8月が夏、9月~11月が秋、12月~2月が冬とされる。明治以降、欧米的四季感覚に慣らされたこんにちの日本人とすれば、2月4日(頃)の立春に対し、季節感のずれを感ずるのは否めない。

旧暦では、年によっては年が明けるよりも先に立春が来ることがある。これを年内立春(ねんないりっしゅん)という。古今和歌集の巻頭に以下のような歌がある。

年のうちに 春は來にけり 一年(ひととせ)を去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ 〔在原元方〕

現代語訳:「年が明けないうちに立春が来てしまった。年が明けてからは、同じ一年のうちである立春から大晦日までの間を去年(こぞ)と言おうか、今年と言おうか」

このように歌に詠まれるくらいの年内立春であるが、実はそんなに珍しいことではない。ここ数年の立春の日附を列挙する。

2009年04月13日

劉 濞(りゅう び)

劉 濞(りゅう び (濞の字は、氵(さんずい)に鼻)、紀元前215年 - 紀元前154年)は、前漢前期の皇族で、沛県の出身。呉楚七国の乱の首謀者。

生い立ち [編集]
劉喜(高祖・劉邦の兄)の長子。弟に劉広(徳哀侯)がいる。代王に封建された父・劉喜が代を攻めた匈奴から逃亡し、郃(合 + 阝)陽侯に格下げされた後、彼は沛侯に封じられる。紀元前196年に淮南王英布が反乱を起こした際に、劉邦の親征軍に将軍として従軍し、騎兵を率いて活躍した。

諸侯王に封建 [編集]
その功績によって、戦死した荊王劉賈の後釜として、呉王に封建された。封建された直後、その挨拶のために、劉邦の元に参内したときの話として、次のようなものが伝えられている。

すでに王に封建したものの、劉濞の人相が、謀反人のそれであることに不安を感じた劉邦は次のように言った。「予言によれば、これから50年後に(帝都・長安から見て)東南の地(呉の領域)で反乱が起こるというが、わしもお前も同じ血を引いた一族同士。まかり間違えても反乱などと馬鹿げたことをするなよ」劉濞はこう答えた。「ゆめゆめそのような真似はいたしません」

かくして、呉王として任地に赴いた劉濞であったが、中央政界に於ける呂雉を筆頭とする呂氏一族の専横とこれに対抗する元勲達との政争に巻き込まれることもなく、国内整備に邁進することとなる。その結果として、呉は、その領域内から産出される、銅と塩の生産と、それの他国への販売によってもたらされる巨万の富を背景に、国民に税をかけること必要もなく、労役に国民を駆り出した際には、却って手間賃を払うというような一種の別天地の様相を呈するようになる。さらに、税役を負担しきれず他国から逃亡してきた連中を国内に迎え入れて彼等に銭を盗鋳させるなど、中央政府でも統制出来ぬくらいの勢力を誇るまでになった。

呉王時代 [編集]
しかし、呂氏一族が滅び、文帝(劉恒)が即位し、文帝が政権を握るようになると徐々に様相が変わっていく。文帝の側近達は、積極的に諸侯王の勢力を弱めていくことを文帝に進言し、文帝もこれを容れ、主に、文帝と帝位を争った斉王家を対象にその政策が実行されてゆく。

そんな中、長安に父・劉濞の名代として、王世子の劉賢が長安に参内し、劉賢をねぎらう宴会が催されたが、宴会の余興(「博」と呼ばれる、今で言うボードゲームの一種)をめぐって、皇太子・劉啓(後の景帝)と口論となり、劉賢が皇太子に「博」の盤で撲殺されたのである。劉賢が殺害されたこと及びその後の漢王朝側の対応に不満を抱いた劉濞は、諸侯王の義務である長安への入朝を取りやめた。当然このことは、中央政府内で問題視されたが、文帝のとりなしで、不問にされた。文帝は、劉濞が老齢であることを理由に、参勤を免除し、杖と脇息を与えて、ことを不問にしたのである。

謀反を起こす [編集]
呉と漢王朝との関係は、文帝の存在もあって、一応の安定を得たものの、紀元前157年に文帝が逝去すると、事態は急変する。文帝の後を継いだ景帝は、かつて劉賢を殺害した相手であり、さらに景帝の側近・晁錯はかねてより積極的な諸侯王削減策を唱えていた。これに危機感を覚えた劉濞は、中央政府の政策に反感を覚える、楚や斉の諸侯王と手を組み、紀元前154年、「わしは62歳で軍を率い、わしの末子は14歳で従軍している。これより62歳以下、14歳以上の男子には兵役に就く義務を課す」と号令して、ついに20余万の軍勢を率いて挙兵する。これが、呉楚七国の乱である。

情勢は、当初、反乱軍が優勢であり、長安では討伐軍への従軍を命じられた諸侯がその費用を金貸しに借りようと申し込んだ際に、長安中の金貸しから断られたという逸話が残るほどであった。また、劉濞の亡弟・劉広(徳哀侯)の子である劉通(徳頃侯)とかつて呉で宰相を務めていた袁盎が説得したものの、自ら漢の東帝を自称し既に自らが皇帝になったかのような素振りを見せ説得に応じず、袁盎を抑留して自分の将軍にしようとした。

しかし、有利な情勢に気をよくした劉濞の作戦ミスと周亜夫の活躍により、徐々に形勢は逆転し、呉軍は壊滅し劉濞はわずかな側近達を引き連れて、かねてから親交のあった東越王の下へ逃走する。しかし、ここで東越王の裏切りに遭い、刺客に殺害された。また首謀者の劉濞の死を知り、反乱を共謀した各国の王やその太子らも自殺、もしくは漢軍に討ち取られ、呉楚七国の乱は3ヶ月で鎮圧された。これ以降、漢王朝は諸侯王の勢力削減策をさらに強化し、中央集権制への移行を進めることとなるのであった。

宗室 [編集]

子 [編集]
太子・劉賢
子・劉子駒
子・劉子華

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